取材 ・テキスト
宮崎 敦(山形支局長)
repo.4 YC村山
〝 市民ランナー所長、羽州路を走る 〟
2023年8月
県内でも有数の豪雪地を抱える読売センター(YC)村山に、南昌夫所長(52)が着任したのは昨年12月の冬だった。南国・高知の出身で、山形はもちろん雪国暮らしも初めての体験。いきなりの豪雪に戸惑いながらも地域に溶け込み、奮闘している。
◇「面倒見のいい先輩に助けられた」
南さんは高知から関西に出た後、中学3年で東京に来て都立高校に進んだ。卒業後、都内のYC東中野(中野区)に住み込みで働き、新聞販売の仕事をスタートさせた。
「新聞店の仕事は朝が早いし、当時はしんどかったと思いますが、予備校生や大学生の先輩がいて、みんな面倒見が良かった。稼ぎもよく、仕事になじむことができました」
YC東中野店長、読売新聞初台センター(渋谷区)所長などを経て、東日本大震災後の2012年にYC亀有(葛飾区)所長に移った。
「人を使うのはあまり得意ではなく、自分でセールスに行く方が気持ちが楽でした。東京の下町は、わーっと言われることも多いけれど、いい人も多かった」
東京のYCで30年以上仕事を続けた後、昨年秋にYC村山への異動を打診された。古里の高知からさらに遠く離れることと、慣れない雪国での生活に不安を感じたが、三度にわたって就任を請われ、移住を決意した。
◇雪に悪戦苦闘
YC村山は村山市や尾花沢市などの雪の深い地域に新聞を配達している。12月に着任して数日後、大雪が降った。配達や集金に必要な道を覚えようとしたが、雪が積もったり霧が出たりすると街の光景がまったく変わり、数軒先の家がわからなくなる。最初は途方に暮れた。
車で配達中、吹雪で自分の位置がわからなくなる"ホワイトアウト"も初めて体験した。銀山地区に向かった時、雪道で転んで頭を打ってしまい、自分がどこで何をしているかわからなくなったこともあった。
「来てから三か月間は、配達も集金も大変だった。上は着込むことができても、配達するうちに足から冷えてしまう。でも農家などのいい人が多いし、階段を上る建物が少ない点はいい」
東京のYCよりずっと広い地域を回りながら、読者に読売新聞を毎朝届け続ける。そんな仕事の軌道が乗ったと感じたのは、春の足音が聞こえる三月頃だった。